1998年6月2日。
この日は、日本サッカー界にとって最大級の「事件」が起こった日と言っていいだろう。
日本サッカー界を引っ張ってきた「キング・カズ」こと三浦知良(当時31)が、フランスW杯直前で代表メンバーから外されたのだ。
岡田武史監督(当時41)が険しい表情をしながら、「外れるのは北澤、カズ、三浦カズ、市川の3選手です」と発表したことは今でも語り草になっている。
当時、岡田監督は「予選3試合を通して、使う場面が見当たらなかった」とカズ代表落ちの理由について語っていたが、時を経て「(理由は)墓場まで持って行く」と明言を避けるようになった。
本人が口を開かないなら、周辺情報を洗うしかない。
当時の中心選手だったMF名波浩(当時25)は発売されたばかりの自伝『夢の中まで左足』(ベースボール・マガジン社)で、MF山口素弘(当時29)と対談し、こう語っている。
【名波】そういえば、モトさん覚えてる?フランス行く前のキリンカップだったか、岡田監督に2人で呼び出されたことがあったのを。
【山口】あったね。あのときはFWの動き方について聞かれたんだよ。FWの特徴や誰ならパスが出しやすいのか、って。監督とそういう話ができたことが印象に残っているね。
【名波】モトさんが何か言うまで黙っていたんだ。でも、岡田さんがあの質問をしたとき、日本代表は中盤とパスワークで勝負するんだ、と思った。
97年のフランスW杯予選。
初戦こそ4ゴールを挙げ、エースの貫録を見せたカズだったが、以降は無得点。フランス行きを決めたイランとの第3代表決定戦では途中交代を命じられていた。
当時の日本代表は、チームの柱がFWカズからMF中田英寿へ移行。
メディアでは「カズと中田は息が合わない」という論調が大勢を占めていた。
実際、中田も雑誌などを通じ、FWには城彰二や岡野雅行を推していた。
98年1月の代表メンバー発表時、岡田監督はFWを「ドングリの背比べ」と評した。
この時点では、まだ誰を起用するか迷っていたはず。
名波と山口のやり取りを読む限り、フランスへ飛び立つ直前のキリンカップでも、決めかねていたことが伺える。
名波や山口が誰を推薦したのかは、わからない。
今後も公になることはないだろう。
ただ、直前合宿でカズはメンバーから外された。
当時のチームは、MFを中心に組み立てられ、MFとの相性でFWのメンバーが決まっていった。
2人の会話は、そのことを雄弁に物語っているのではないか。